猫小屋  NovelPage

©2011 NekokanEATERS
Design by Utsusemi.

novel
menu

「ハコニワアソビ」外伝

流れ星の願いを

第1話:転入生の竜人


「本当かよ」
「学生が追放ってよくあること?」
「まあ、あいつはいつか何かやると思ってたよ、俺」
「変な奴だったよな」

 朝。校内掲示板には珍しく人だかりができていた。魔法でぼんやりと明るくなった掲示板には、警告の赤文字が並んでいる。

「ねね、私たちも見に行こ!」

 水色のロングヘアの活発そうな少女ティアが、隣に立つ金髪のけだるそうな細身のつり目少年、レオンの腕をつかみ揺らしながら、促している。レオンは表情一つ動かさず、面倒そうに左右に揺れていた。

「ね~ってば~」
「ま、確認しておいた方がよさそうではあるか」

 しばらく無言で揺れていたレオンだったが、ついにはティアの執拗な催促に折れ、ひとつため息をついたあと鞄からミニチュアのようなものを取り出した。つづけてレオンが呪文を唱えると、それはみるみるうちに大きく膨張し、椅子のついた120cmほどの棒切れが2つ出来上がった。

「ほら、おまえの分」
「あっ、確かに飛んだ方がいいね」

 ティアに“椅子付き棒”を渡すと、レオンはそれにひょいとまたがり、音もなくふわりと宙に浮いた。“椅子付き棒”は、学生の飛行練習用道具。ただ、人だかりを見てもそんな便利なものを使っているのは、他には数えるほどしかいないようだった。

「じゃあ……せーの」

 ティアが“椅子付き棒”にまたがった。そして次の瞬間、ビュンという風切り音がし、ティアの姿は消えていた。
 5、6秒ほどして、空に浮かんでいた豆粒のような黒点がやっとティアであると認識できるようになった辺りで、レオンはゆっくり空に浮かんでいった。そしてティアと高度が一致すると、右手を差し出した。

「ほら」
「ご、ごめん、ありがと。やっぱりちょ~っとだけ、むずかしいね」
「ま、飛べるだけいいだろ」

 ティアがレオンの手を取る。レオンは、右手は棒に添えたまま、左手でティアの右手をつかみ、エスコートするようにして掲示板の前までゆっくりと飛んでいった。

『下記の事情により、中等部最高等術クラスのアルノは、メルトリーネを追放となりました』

 人だかりの上、幾人かの上級生たちが浮かぶ中、二人は掲示板の文字を確認すると、横目に視線を合わせた。

「追放……」
「追放だって……もうメルトリーネに戻れないってこと?」
「多分な」
「ひどいね」

 ティアが眉をひそめる。レオンは、左手の締め付けが強まったのを感じた。

「ま、相当やらかさないと追放されねぇだろ。いくぞ」
「あっ……ちょっ……まだ最後まで読んでないよ」
「追放の理由しか書いてねぇよ。神だ真理だの、教会のいつものやつ。ほら」

 レオンが強引にティアの手を引き、二人は喧噪から少しずつ遠ざかっていった。人込みを避けて二人は“椅子付き棒”から降りると、教室に向かって二人で歩き始めた。
 
「でも、追放されたらどうするの?この国の外って、人間の集落無いでしょ?」
「さあな」
「家族はどうしてるの?一人だけ追放されて、お母さんたちはメルトリーネに残るの?」
「知らねぇ」
「レオンがもし追放されたらどうする?私は……わかんないけど、どうしたらいいかわかんない」
「……あのな」

 レオンは反転してティアに立ちはだかるように顔を合わせると、じっと目を見ていった。

「俺はあの追放された先輩のようにバカなことはしないし、お前にもさせねぇ。だから、その、なんというか……心配しなくていい……だろ?」
「疑問形?」
「いや、いい、心配しなくて。心配不要だ」

 ティアを心配させまいととっさに出た自身の言葉に赤面したレオンは、言葉の途中でぷいと視線をそらし、言葉を濁した。

「ふ~ん」

 ティアは赤くなったレオンの耳、それから顔と順に回り込むように覗き込みながら、先ほどまでの態度と一変、得意げに声を躍らせて微笑んでいた。

「うるせぇな……この話は終わりだ終わり!」

 レオンは目をそらしたまま声を荒げ、足早に廊下を進んでいった。ティアは「へへ」と声を漏らすと笑顔でそれを追った。

◆◇◆

 講義が始まるころ、見慣れない男がレオンの隣に立った。褐色の肌に逆立った赤い髪、首筋に見える大きな鱗。レオンたちとは違う、筋肉質の引き締まった体。竜人だ。

「初めまして」
「あ、おう、はじめまして」

 竜人自体はそう珍しいものでもなかった。だが、普段目にするのは大人の竜人ばかりで若い竜人を見るのは初めてだったし、魔法学校内に竜人がいるということも、大変珍しいことだった。物珍しいその姿に、講義室内はどよめいている。だが竜人はその中でも臆することなく、まっすぐと揺らぐことのない瞳をしていた。

「レオンくん、と、ティアさんですね」
「あえっと……どこかで会ったか?」
「いえ」
「初めて、かな?」
「はい」

 レオンとティアは横目で一瞬、視線を交わした。不思議そうにする二人に、竜人はつづけた。

「僕はラザル。竜人国エルドラから、文化交流のためこちらの学校に編入しました。お二人は特に成績優秀と伺っています。是非お近づきになりたく、声を掛けさせていただきました」

 相も変わらず臆さぬ視線で見つめながら、ラザルは右手を差し出した。レオンは気圧されながらも、その手を取り、固い握手を交わした。ラザルはつづけてティアとも握手をすると、二人に対して柔和に微笑み、椅子に座った。

 占術、魔法論理、薬草学、飛行論理、飛行実技、現象術……その日レオンとティアが取っていた講義全てに、ラザルはついて回った。どの講義でもレオンの隣を確保すると、講師の話とレオンの手元を交互に見ては、時折感嘆の息を吐いていた。初めは気まずさを感じていたレオンも移動時間や昼食等ですっかり打ち解け、今は持ち前の面倒見の良さを発揮して魔法に関するコツなどを彼に指導するまでになっていた。一方ラザルも、その真面目さをもって、レオンの教えを海綿体のように吸収していった。ティアも負けじとラザルに教えを説こうとしていたが、あまりにも感覚だけで語るそれはただただ場を和ませるばかりで、その感覚がラザルに理解されることはそうそう無かった。


 レオンは秀才、ティアは天才。それがラザルが二人に抱いた印象だ。実際、この二人の評価はその通りだった。論理を深く理解し精密に魔法を行使して見せるレオンと、何一つ理解しなくても初めからすべてこなして見せるティア。共に同年代ではずば抜けて魔法の扱いがうまく、実技の成績も3位と大きな差をつけ上位二席を常に独占、天才二人組として名馳せていた。
 しかしある日から天才は三人になった。


「流石に、二人には及ばずといった感じですね」

 天才が三人になったのは、ラザルが転入して二度目の成績発表の日だった。魔法学校に来て50日ほど。他の生徒と比べれば数年の開きがあるにも関わらず、ラザルは二人に追随するようにすぐ下に名前を連ねていた。点数としては二人にはまだまだ及ばないが、その他の生徒すべてを凌駕したということは異常事態だった。当然、生徒たちはどよめいていた。

「いやいやすげーよ、やったな」
「しんじらんない!すごいねラザくん!」

 そんな中、レオンとティアがラザルを祝福する。

「お二人の教えがあってこそです。ありがとうございます」

 ラザルは謙虚に二人に礼を言い、深々と、丁寧に首を垂れた。しかし、魔法など必要ないかのような逞しい肉体で今まで以上に堂々と胸を張ったラザルは、王者のような風格を纏っている。その場にいた生徒たちは、みな一様に息をのんだ。

「そのうちレオンも負けちゃうかもよ~?」
「馬鹿いえ、抜かれるなら2位のお前が先だろ。それに俺は一位を譲る気はないね」

 レオンとティアだけが自然体でいる。二人はすっかりラザルと打ち解け、特別視などしていなかったからだ。ティアはそのままのテンションで、同年代の仲良しの女子たちとハイタッチを始めた。成績発表がある度の恒例行事になっているそれで、他の生徒たちの緊張は徐々に和らいでいった。

「そうだレオン、次は私が教えましょうか」
「ん?何をだ」

 ラザルからの突然の提案。レオンは軽く頭をひねって見せた。

「体術、剣術ですよ。レオンの体は鍛えがいがありそうです」
「ああ、はは。俺らはラザみたいな筋肉はそうそうつかねぇからな」

 レオンは苦笑して見せ、つづけた。

「長耳族は丸耳と違って筋力つかねぇんだよ。その代わりに魔法がある」
「しかし無駄ということはないでしょう」
「そうだな、けどまあ、俺らはずっと魔法で生きていくからいいのさ」

 レオンはその場に会った木箱を魔法で浮かして見せた。ラザルはそれを見て、なるほどというように小さく繰り返し頷き、微笑んで見せた。

「おおレオン。その箱、せっかく浮かせたならそのまま運んでもらっていいか」

 背後より突然、大きなガラガラ声が聞こえた。振り向くとそこには筋肉隆々の大きな白いクマの獣人、用務員兼薬草学の講師であるロク先生が立っていた。ロクはにっと笑いその場にある木箱を二つ鷲掴むと、くびをクイと動かし、レオンについてくるよう促した。

「ああ、はい、わかりました」
「僕も……」
「ああ、いい、いい。レオンだけで十分だ。な?」

 ラザルが協力の申し出を言い切る前に、ロクはそれを断った。

「そういうことらしい。まあ俺だけで大丈夫だよ」

 レオンはすでにラザルが担いでいた木箱と残りいくつかの箱を魔法で浮かべると、「また後でな」と言い残し、ロクに従い廊下を歩いて行った。

「あれ、レオンは?」

 全員とのハイタッチを終えてティアが戻ってきた。きょろきょろとレオンを探している。

「ロク先生に連れていかれましたよ。木箱をいくつも浮かせて。魔法は便利ですね」
「あ~またか。後でロク先生んとこ行ってみよっと……あっそうだ。また後でね!」
「えっ?」

 突如としてティアも走り出し、ラザルだけがその場に残された。ラザルは仕方がないというようにため息を吐くと、帰り支度を始めた。

◆◇◆

 魔法学校の広大な敷地の端、ロク先生の住居と化している用務員室で、物品の整理を行いながらロクとレオンが会話している。辺りに人の気配はない。魔道具の立てる音と、二人の声だけが響いていた。

「なあレオン」
「はい」
「お前は優秀だ。誰もがそれを知っている」
「光栄です」
「皆お前に注目してる。お前をいつも見てる。何が言いたいかわかるか」

 レオンの動きが一瞬、ぴたりと止まった。

「……いえ」

 押し出すような声で言うと、レオンは整理を再開した。ロクもそれに対し「そうか」とだけ返し、整理を続けている。しばらくそのまま、魔道具の立てる音だけが響き続けた。そしてしばらくして、整理が終わるあたりで再びロクがレオンに声をかけた。

「レオン」
「はい」
「そうだな……知識を、知恵をつけるこたあ正しいことだ。俺は勤勉な学生は好きだぜ。だがな、規則ってのもまた大事なもんだ。ほどほどにしとけよ。俺からはそれだけ言っとく」

 レオンは立ち上がると、仕分け終わった魔道具をロクに渡し、「ありがとうございます」と言ってロクに背を向け、ドアノブに手をかけた。

「おい!アルノのようなのはもうなしだぜ。俺は!俺はあんな思いはもう沢山だ」

 ギイと、木製の扉が鳴った。外から、少し潮の香りのする冷たい空気が流れ込んでくる。

「いえ、肝に銘じます。大丈夫です」

 振り向いたレオンは自信に満ちた表情をしていたが、ロクはその表情に大きな不安を抱いた。就学以来一度の挫折もなく、だれよりも先を行き、才能で大きく差のあるティアさえ差し置いて総合でトップを常に維持。その経歴に裏打ちされた、危うい無根拠の自信を感じたのだ。
 扉が閉じ、レオンが去っていった。冷たい風は止まり、あたたかな止まった空気が辺りを満たした。ロクは長い溜息をつくと勢いよく魔道具箱をしまい、しばし沈黙した後、左手にはめられた銀色の指輪をじっと眺めながらちいさくつぶやいた。

「仕方ねえ。まだしばらく面倒を見てやるか」

◆◇◆

 陸から海に向かって風が流れている。レオンは風を背負いながらぼんやり海を眺めていた。今日は雲がなく、よく星が見える。レオンは、このくらいの時間はいつもひとりでここにいた。風が寒い日も雨が降る日も、体に魔法の衣をまとわせて体温低下を防ぎ、ただぼんやり立ったり、歩いたりして時間を潰していた。

「レオンではないですか。こんな夜更けにどうかしたんですか?」

 背後から声。レオンが振り向くと、そこには竜人ラザルが居た。腰に手を当て、優しい微笑みでレオンを見ている。

「別になんでもねぇよ。暇、潰してるだけだ」
「家に帰らないのですか」
「まあ……」

 レオンは視線を海に戻し、黙った。ラザルはそんなレオンの隣でけい船柱に腰かけると、同じように海を眺めた。遠くに船と魔道具の灯りが見える。走光性の魚類を釣っているのだろう。二人は暫く、そんな船の様子や波の揺り返しを見ながら黙っていた。沈黙を破ったのはラザルだ。

「……私の家は少しひとけが多くて、こういった静かなところは憧れます」
「実家の話か」
「ええ」
「大家族なのか?」
「そういったところです」
「寂しいか?」
「そうでもありません」
「へえ……」

 レオンは地べたに腰を下ろすと、つづけた。

「俺は……俺も、静かな方が好きかもな」
「私は騒がしいのも好きですよ。ほら、ティアさんとか」
「お、べつに俺も嫌いじゃねえ。ティアの事じゃなくて、家のな……」

 レオンがため息をついた。ラザルはそんな様子をちらりと横目で見、「複雑な家庭というやつですか」と心の中でつぶやき、視線をふたたび海に戻した。レオンが続ける。

「母親がちょっと苦手でな。気を使ってくれてるのはわかるんだけど、そこは別に放っておいてくれて構わないというか、いや、あれはあれで家に馴染むのに苦労しているだけだってのは解るんだけどよ。……いや、母親といっても、最近親父が再婚してな」
「ああ、そういうことでしたか。……無理に話さなくてもいいですよ」
「別に構いやしねーよ。隠してるわけじゃねーし」
「そうですか」
「ま、不満を言うなら、どちらかってーと親父に色々言いたくはあるな。悩んでるわけじゃねーよ。気を使わせて悪かったな」

 話しながら、レオンは視線をラザルの方に移した。するとラザルが頭を抱えて震えている。尋常ではない様子に、レオンは慌てて立ち上がり、肩に触れようとした。

「おい、大丈夫かラザ……」

 しかし言い終える前、肩に手が触れる前に、レオンの手はラザルによって振り払われた。ラザルは飛び上がって後退し剣を抜くと、レオンに切っ先を向けた。ラザルは左手で顔を半分覆いながら震えている。何かに怯えているようだった。

「ま、待ってください。僕に近づかないで」
「急に何があった。落ち着けラザ」

 レオンは腰に据えた杖を手にすると、ラザルに対峙した。

「それを僕に向けるな!」

 杖を見たラザルが、叫びながらレオンに切りかかった。レオンは即座に防護魔法を唱え、腹部に触れる直前で斬撃を阻止すると、至近距離でラザルに再び問いかけた。

「大丈夫か、どうしたラザ。何があった」
「ヒッ……」

 するとラザルは剣を手放し、再び間合いを取った。明らかにレオンに対して怯えている。

「俺が怖いのか」
「怖い……急に、これは、何が……」
「お前が何もしないなら、俺も何もしない。だから落ち着け」
「わかってる、レオンが何もしないことは、危険でないことは頭ではわかる。でも、何かが、自分の中の何かが君を殺すよう恐怖を煽っている」

 レオンは杖を構えたまま、ラザルはもう一本の剣を抜いて、再び硬直状態になった。

「レオン、それを下ろしてくれ」
「俺が杖を下ろしたら、お前は落ち着くか?」
「……」
「悪いが下ろせないな」
「……僕を信用してくれ」
「お前が俺を信用しろ」

 硬直状態は長く続いた。互いに脂汗を掻き、武器を持つ手がしびれても、なお互いに武器を向け、睨みつづけた。

 遠に見える家屋の灯りが消え始めるころ、やっとラザルが落ち着きを取り戻し始めた。頃合いを見てレオンが杖を下ろすと、それを見たラザも剣を下ろし、二人ともその場へへたり込んだ。互いに座ったまま目線を交わすと、ほぼ同時に深い溜息をついた。

「レオン」
「なんだ?」
「すみませんでした」

 普段通りのラザルに戻ったことを確認すると、レオンはその詫びを鼻で笑い、笑顔を見せた。

「ふ、いいさ、気にしてねえ。結局なんだったんだ?」
「わかりません。何か蓋が外れたような感じで、急に君を殺したくなりました」
「物騒だな……竜人はみんなそうなのか?」
「いえ……いや、ふむ」
「なんだ、一人で納得して」
「伝説を思い出しました。書物等には何も残っていない、口伝の伝承ですが」

 ラザルは立ち上がると落ちた剣をしまい、レオンの傍に寄ると手を差し出した。レオンは杖を腰の袋にしまうと、その手を取り、立ち上がった。ラザルはすっかり全快したようだった。レオンだけがまだ、緊張に汗をかき、疲れに手を震わせている。

「かつて竜人は全てを破壊する種であったと」
「つまりさっきのが自分の本性だって?」
「可能性として」

 レオンは再びラザルの言葉を鼻で笑った。

「ま、無くは無いのかもな。けどここは魔法使いの国だ。それよりは、精神干渉系の魔法で悪さをされた可能性の方が高い」
「なるほど、そうですね」
「専用の防護魔法を教えてやるよ。あと、治安部隊に調査を依頼しとこう……まあただ、今日は帰るか」
「そうですね、さすがに遅くなりすぎました」

 町はすっかり寝静まったようだった。残った灯りは星と、街灯と、夜通し漁を続ける船だけ。二人は最後に軽く挨拶を交わすと、互いに住処に向かって帰っていった。

第2話:メルトリーネの精霊様

 ある休日。レオンはエビや海ミミズを模した小さな針付きの疑似餌を数個手にして、海へと向かっていた。 メルトリーネでの漁の方法は多数あるが、個人が行うには方法は限られる。 レオンはその中でも最も道具の少なく経済的な、疑似餌を魔法でコントロールする手法で釣りをするつもりなのだ。 この手法はそこそこの技術を必要とするため同年代でこれを行えるメルトリーネ人はかなり限られるが、彼は飛びぬけて魔法の扱いが上手いため、 この程度のことは造作もなかった。

 そんな上機嫌で海へ向かうレオンを、一人の少女、ティアが遠くの物陰から、望遠魔法を使ってひそかに観察していた。

「今日はどこに行くんだろう?ついて行っても邪魔じゃないかな……?」

 レオンとティアはよく、二人で一緒に行動している。だがそれは申し合わせて二人で出かけているわけではなく、偶然にも出先で鉢合わせている……はずなのだが、それは“レオンにとって”の事だ。ティアはよくこうしてレオンを尾行しては、“偶然を装って”出会うようにしていた。相手の予定を聞いて、一緒に出掛けようなどと約束を取り付けることは、恥ずかしくてできやしなかった。……実はレオンも同じことを思って毎度声をかけられずにいるのだが、ティアはそんな事を知る由もない。

「また疑似餌持ってるから、今日も釣りなのかな~……男子って釣り好きだよね」
「釣りだったら海だよね。む~、私が海に居る理由……海に居る理由……」
「私は自分で釣りなんてしないし~……まあいっか!なんとなく来ただけってことで!」

 ティアはヨシッとこぶしを握り締めると、手を広げ、呪文を唱えた。美しい水色の帯が身体を包むと、ティアの姿は光と共に消えていった。

◆◇◆

 レオンが岩礁に座って針に神経を集中していると、背後から聞き覚えのある少女の声が響いてきた。

「やっほー!レオン!偶然だねっ☆」
「ん?」

 一旦海中から疑似餌を引き上げると、レオンは座ったまま後ろを振り向いた。大きな編み帽子をかぶり薄水色のワンピースを着たティアが、潮風に髪をなびかせながら立っている。太ももに視線を吸い寄せられそうになっている自分に気が付いて少し恥ずかしくなり、若干目をそらしながら、レオンはティアに応対した。

「なに、お前こんなところにも現れるわけ」
「べ、そん、なんでもいいでしょ!今日は海を見たかったの!」
「ふーん、で?」
「何してるの?」
「これだよ」

 レオンは疑似餌を再び海中へ放り込み、海の方を向きなおすと、釣りを再開した。時折細かく指先を動かしながら、目を閉じ、静かに座っている。ティアはそんなレオンの隣に……少しだけ距離をとって、音を立てないよう、邪魔しないよう静かに座った。

 日差しに照らされ、海が輝いている。ティアは、普段よりも少しだけ水が澄んでいるように思った。レオンの疑似餌は見えないが、魚が幾匹も泳ぎ回っているのが見て取れた。「これだけたくさんいるのなら、すぐに釣れるかな」「どのくらい釣ったら相手をしてもらえるかな」などと考えながら、ちらちらレオンの顔をのぞいたりしていた。静かに、時間が過ぎてゆく。

◆◇◆

 ラザルは暇を持て余していた。やるべきことがない、やりたいことも、特に思いつかない。高い海沿いの丘の上に建てられた高級な借家の3階のバルコニーで、ただただ海を眺めていた。潮風が頬を撫でる。

「我が国とはやはり、随分と環境が違いますね。海竜種であれば、快適にも思うのでしょうか」

 ラザルはちょっとだけ、潮風がうっとうしいなと思った。

「国に居た頃は毎日が忙しかったですが、これだけ暇があると、それも少しだけ恋しくなりますね……」

 ぽつぽつと独り言をつぶやきながら遠くを眺めていると、見覚えのある二人に気が付いた。

「おや、あれは……相変わらずレオン達は仲が良いですね」

 ラザルは微笑むと、のぞき見は悪いかなと思いつつも、楽しそうな二人を眺めていた。レオンが魚を釣り上げて天高くガッツポーズしたり、ティアも一緒に両手を挙げて喜んだりしている。釣り上げた魚はティアが凍らせて、空に浮かべられていた。内心合流したいとはおもいつつ、さすがに恋人たちに割って入るような図太い精神は持ち合わせていないため、同じように魔法を使ってみては、魔法は便利だなと感心するなどして、遠くからでも穏やかな時をそれなりに楽しんで過ごした。

 しかし、穏やかな心持で居続けることはできなかった。一瞬だけ目を離した隙、ラザルが魔術教本を取りに部屋に戻っていた間に、二人の姿が消えている。海に不自然な“裂け目”ができていた。状況からラザルは瞬時に、二人に何かがあったのだと判断した。教本を放り出すと、バルコニーを飛び越え、海へと慌てて駆けていった。

◆◇◆

「うええ……お前やっぱりデタラメだな」
「えへっ★」

 ティアの目の前の海が割れていた。海水と共に移動できなかったヒトデや貝類やらが取り残されて蠢いている。

「あっ!見て見て、青くて綺麗な……なんだろ。見に行ってみよ!」
「お、おい、ちょ……」

 ティアがレオンの上着の端を引いて歩き出した。レオンはすかさず近くに落ちていた十数枚の板を魔術で浮かせ、ティアの行く先のぬかるみに足場として設置し、自分たちが歩く先に常に足場があるよう、その十数枚の板を使いまわして割れた海の中を進んでいった。海の底には、朽ちかけた疑似餌や泥の詰まった瓶など大小さまざまなゴミも落ちていたが、貝殻や可愛らしい小型のウミムシリムシ、割れた海のギリギリまで寄ってくる小魚の群れなど、やはり美しくもあった。中でも異彩を放つその青い光に二人は吸い込まれるようにして導かれていった。

「宝石、かな?」
「これは……エレム結晶だな。ほら、研究室の入り口に飾ってあるだろ」

 ティアは学校の風景に思いを馳せた。だが、思い出せない。

「そんなのあったっけ?」
「……まあいいや。しかしこんなところにあるとはな。海にもルメリアの花のような性質を持つ生き物がいるのか……どこからか流れてきたのか」

 ふわ、と、エレム結晶が浮き、レオンの手のひらに乗った。拳の半分くらいの大きなエレム結晶は、強く青く輝いている。

「ルメリア?」
「おま……エレム集めて、結晶化させる花だよ。むかーし授業でやったろ」
「あ~、なんとなく?」

 ティアは苦笑いしつつ、相変わらず首をひねっている。

「思い出したか?」
「たぶん?」
「まあいいや……これはお前んだな。ほら、大事に使えよ」

 レオンはティアの手首を掴み、視線を逸らしながらエレム結晶を渡すと、そのまま後ろを向いて「戻るぞ」と早足に歩き出した。

「あ、まって」

 ティアが再びレオンの服の裾を掴んだ。先ほどまでとは逆に、レオンがティアを引くようにして清濁併せ持つ海の中を二人で進んでゆく。小さく切り取られた自分達だけの世界に、ティアは少しだけ、心を躍らせていた。そんな情動の一方、レオンは力強い足取りで、素早く出口へと進んでいく。

「そんなに急がなくていいのに」

 もう少し二人の世界でゆっくりしたいという思いが、つい口をついた。ティアは顔を赤くして下を向く。レオンは歩みを少しだけ緩めたが、海の出口はもうすぐだった。

 あたりの景色が見えるようになるまで戻った時、二人は人影が走ってくるのに気が付いた。人影はこちらに気が付くと、少しずつ速度を落とし、やがて止まった。二人は望遠魔法で人影を確認する。

「ラザルくんだ」
「あいつ、真っ青な顔してなにしてんだ?」

 二人がゆっくりとラザルに寄ってゆくと、やがてラザルも動き出し、普通に会話ができる程度まで近づくと、レオンから声をかけた。

「よ。お前どうした?」
「いや、むしろ僕は、お二人がどうかしたものと、というか、それ、何ですか?」

 ラザルが海を指さした。割れていた海は、今まさに術が切れ、元の状態に戻っている最中だった。レオンは一瞬面倒くさそうな顔をしたあと、これまでの経緯を簡潔に説明した。ラザルも自分が来るまでの経緯を説明したが、しばらく二人を見ていたという事についてはなんだかバツが悪く、その点については触れずに話を終わらせた。

「なるほど、安心しました。それでは僕はこれで……」
「ん?」
「え?」

 突如去ろうとするラザルに、二人はきょとんとしながら同時に声を漏らした。当然、このまま一緒に行動するものとばかり思っていた二人はその余所余所しい行動に不意を突かれたのだ。ラザルも「え?」と漏らし、全員が一瞬硬直した。

「あ、いや、ボンヤリ海眺めてたくらい暇なら、一緒に遊べば良くね?」
「居ても問題ないのですか?」
「そらいいだろ。な?」
「あ、うん」

 ティアは一瞬だけ、ほんの一瞬だけほんのりと不満を抱いた。けれど別段ラザルのことを嫌っているわけでもなく、むしろ良い友人とさえ考えていたため、すぐに気持ちは切り替わった。友人たちとわいわい遊ぶのだって、たまらなく楽しいのだ。

「お前も釣りやってみるか?」

 ラザルに対し、レオンが釣り針を差し出した。

「では、少しだけ」
「私もー!」
 
 ラザルが優しく手に取る。ティアは魔法を使って、レオンから奪い取るように針を持って行った。

「あ、おい、なくすなよ!」
「わかってるよーだ★」

 べ、と舌をだしてレオンを挑発した。レオンはやれやれという表情で「ったく」と漏らすと、もういくつかの針を手に取った。

「ふふっ」

 ここにきて初めて、ラザルが笑みをこぼした。二人はそれを確認すると、横目でちらりと目を合わせ、お互いの意志を確認した。ラザルは元気そうだ。特に心配ないだろう。安心したティアが、我先にと海へかけてゆく。レオンとラザルはそれにゆっくりと歩いてついて行った。

◆◇◆

「釣り針、なくなりましたね」
「案の定だな……はあ、まあいいけど」

 岩の上に座ったレオンが大きく手を伸ばして背伸びをした。ラザルは苦笑いしている。持ってきていた釣り針は、すべてティアがどこかへなくしてしまった。釣りは続行不可能だ。高く昇った日が、頭の真上で3人を照り付けていた。空が赤くなるには、まだまだ時を要しそうだ。さてどうするかなとレオンが思案に暮れていると、突如、目の前の海が大きく二つに割れた。ティアがまた、海割りを行ったのだ。

「じゃ、針拾ってくるね!」

 本人がいいなら好きにさせておくか、と、レオンは思った。一方ラザルは、ティアの真似をして海割を試みていた。しかし海に一線の白波が立つだけで、海が割れることはない。2度、3度繰り返しても、まるでうまくいく予兆さえなかった。

「あいつの真似はやめとけ、普通一人で出来るもんじゃねえよ」
「一人で?」
「本当は10人ほどでやるような術なんだよ。本物はティアのと違って水だけ動かしてさ、魚だけ残して拾い上げる。まあそういう漁があんのさ」
「へぇ……」

 足元のぬかるみを気にしながら、恐る恐る海底を探し回るティア。はた目には、ただの少女にしか見えない。この少女のどこにそんな力が秘められているのかと、ラザルは一瞬恐ろしさのようなものを感じた。ピリリと、頭の端に痛みが走った。覚えのある痛み。先日レオンの前で暴れたときの恐怖だ。はっとして、ラザルは防護魔法を唱える。以前レオンに教わった精神感応を防ぐ術だ。
 ラザルの様子で、レオンは異常を察知した。ラザルが術を唱え終えるよりも早く立ち上がりつつ、同時に自身へも防護術をかけ、割れた海へと飛び出す。

「ティア!戻ってこい!」

 レオンが叫ぶ。しかしティアは釣り針探しに夢中で気が付かなかった。ふと天を見上げると、夕暮れも見ぬままに薄暗くなっていた。ぽつ、ぽつと、雨が降り始める。レオンは折り畳み式の簡易飛行棒にまたがると、ティアに向かって飛び立った。そして一瞬でティアに接近すると飛び降りるように着地し、ティアの手を握り、ティアへも防護魔法をかけた。

「戻るぞ、こい!」
「え?え?え?」

 突然の出来事に顔を赤くし、戸惑いながら、ティアはレオンに引かれて海岸へと走っていった。雨足が強まる。レオンは走りながら、左右前後の空がまだ青いことを確認し、この暗闇が極局所的であり、異常な状況であることを再認識した。

「……!……!」

 どこかから知らない声が、かすかに聞こえる。

「……ム……!……せ!」

 声が近づく。レオンは走りながら、いざというときに咄嗟に術が放てるよう杖を手に取った。何かに気が付いたラザルが、こちらに走ってくる。何かが後ろにいる。背後から確かに、強力な魔法のような何かの圧力を感じる。

「ティアッ、行け!」

 ぐっと手を引き、振りほどくようにティアを前に投げ出すと、レオンは反転し、後ろを見た。

 寒気がした。

 見えない、しかし何かがいる。丁度目の前、相手も自分を見て止まっている、の、だと思った。杖を構え、息をのんだ。

「エレムを、寄越せェェッ!!」

 突如空間が避けたように暗闇が広がり、そいつは現れた。青白の透けた体、頭巾をかぶった異形の姿。目と口は、吸い込まれるような真っ黒で、何も光を通さない。とびかかってきたソレをレオンはすかさず術ではじき返すと、再び杖を構えた。

「……精霊?か?」
「エレム……エレムを……オォ……」

 精霊。ここメルトリーネにおいては神に次いで尊重すべき、信仰の対象だ。だがレオンは、必ずしもそれが、ただ信奉し従っていればよいものだとは考えていなかった。立ち入り禁止の地下室で読んだ数々の書物。その中には、精霊との真実の歴史が記されていた。レオンは、この国の裏に隠された真実を少しだけ知っていたのだ。
 だが、ティアはそうではなかった。ティアは、表向きの精霊の扱いだけを信じていた。精霊は、人々を助ける神の使いなのだ。

「精霊様……ですか?」

 ひょっこりと、レオンの後ろからティアが顔をのぞかせた。

「おい!行けって言ったろ!」
「でも……でも大丈夫だよ」
「大丈夫じゃねぇよ!こればっかりは、いいから下がって……」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ」

 レオンとティアが悶着を起こしていると、そこへ再び精霊がとびかかってきた。レオンが一瞬、目をそらした隙だった。しかし間一髪、ラザルが強力な竜の尻尾の一撃で精霊を弾き飛ばし、事なきを得た。丸太で殴られたように鈍い音を立て精霊が突き飛ばされる。人間であれば、骨も内臓もただでは済まないだろう。

「大丈夫ですか。戦闘中によそ見は禁物ですよ」

 だが、精霊はそう脆くはないようだった。ゆら、と再び姿勢を正すと、再びこちらにゆっくりと近づいてくる。

「エ……レ……」
「これ、ですか?」

 ティアがエレム結晶を掲げた。精霊は、答えない。ただエレムエレムとうわ言のように繰り返しながら、まっすぐとティアに向かってきている。ティアは精霊に向かって歩み寄ろうとした。しかしレオンが遮ると、「俺がやる」と半ば奪うようにエレム結晶を手に取ると、術をかけ、浮かせた。

「これ持ったら、さっさと帰れよ」

 レオンが手にした杖をピッと振り下ろすと、浮かされたエレム結晶が、精霊に向かって飛んで行った。飛んで行ったソレは、人間でいうみぞおちあたりにあたると、すう、と、音もなく消えていった。精霊は近づくのをやめた。頭と手の力を抜き、だらりとした姿勢でそこに浮いている。

「何か、言っていますね」

 ラザルが首だけを動かし、レオンに耳打ちした。

「ああ、けど、聞き取れねぇ。いつの間にか認識阻害結界がかけられてやがる」
「正気を取り戻したのでしょう。エレムを提供したのが、裏目に出ないとよいのですが」
「俺は穏便に“お帰りいただこう”と考えたんだぜ」
「承知していますとも」

 二人は精霊から目を離さず、小声でやりとりした。じっと観察していると、精霊が顔をあげた。先程までの真っ黒な穴でしかなかった目と口ののっぺりとした顔ではなく、べたっとしたくせ毛長髪に、陰のある色男のような顔立ちになったそいつは、ひときわ背筋のゾッとするような笑顔で、上目遣いでこちらを覗くように見ている。視線の先に居るのは、ティア。二人は視線に気が付くと、いつでも対処できるよう、再び構えた。

「いいですね、いいですね」

 精霊が、はっきりと聞き取れる声量で、言った。

「なんとも、いい」

 精霊は、大きく手を広げしっかり顔を上げると、今度は見下ろすような視線でそう言い、ひひひと引き笑いした。

「用事は済んだか?精霊様」

 レオンが杖を突きだし、凄んだ。ラザルも腰を低くし、尾を地面に突き立て、いつでも飛び掛かれるぞとばかりに口から火の粉をチリチリと飛ばして見せた。ティアは、ぽかんとした顔でそれを眺めている。精霊は腕を組むと、二人を睨んだ。

「う~ん、ここはメルトリーネではなかったかな?私は敬われる筈だが……」

 腕を組んだまま考えるそぶりもして見せた。その間、何度かティアへちらちらと目をやっていたが、レオンが術を唱え、杖の先が光り出したあたりでやめ、視線を二人に落とした。精霊は表情を手で捏ね、いやらしい笑顔に戻したが、レオン達は警戒を解かない。

「わかりましたよ、か弱き女子を守る騎士たちに凄まれては仕方ない。帰るとしましょう。しかし、実りの多い日だった。当面の目的が決まりました」

 精霊はくるりと背を向け、海に向けて動き出すかと思われた。だがレオンが杖を下したその瞬間を狙って、精霊は振り向きもせず氷の刃を飛ばしてきた。

「しかし躾はしておかなくては!」

 レオンは慌てて杖を構えようとした。しかし間に合わない。刃が迫る。ティアは事態に気が付いて青ざめたが、とっさに動けなかった。そして氷の刃は……灼熱の鱗にあたり、弾けて消えた。ラザルの腕だった。ふたたび間一髪、レオンの命を救った。
 ラザルは身体から蒸気を上げながら、言った。

「か……え……れ……!」

 口からは黒煙が漏れ出している。息荒く、精霊を威圧していた。

「忌々しい竜人族が!」

 ちらりと、眉間にしわの寄った顔を見せると、精霊は海中へと消えていった。空が開き、雨が止んだ。ラザルが膝をついた。体の熱が抜けてゆく。レオンは強烈な熱を感じつつ、彼の肩を支えると、「悪い」と謝った。 ティアが遅れて駆けつけると、ふたりに「大丈夫?」と声をかけた。二人は「別に」「問題ありません」と答えると、3人で浜へと戻っていった。

◆◇◆

 全員が落ち着くまで、しばらく浜でゆっくりしたあと、3人は市場に来ていた。「まっすぐ帰った方がよいのでは」という提案がラザルから挙がったのだが、大量の魚を確保した後では、市場に行って引き取ってもらうほかない、という状況だったのだ。

「うす」

 レオンが店主に頭を下げる。レオンに気が付いたガビガビに固まった毛皮の大柄な店主は、「おお!」と答え、レオンの背中を何度もたたいて歓迎した。店主が何かを耳打ちしたようだったが、レオンは「違うっすよ」と、恥ずかしそうに煙に巻いているようだった。ティアは不思議そうに見ていたが、やり取りの内容を推察したラザルは、再び「自分はここに居てよかったのだろうか」と思い直していた。

「今日はまた一段と釣ってきたな。いいぜ、値は奥で決めるから、ちょっと貸してくれや」
「あ、俺がこのまま持ってきますよ」
「いい、いい、このかごに入れてくれ……いや、手伝ってもらうか。魔法無しでな」

 店主が腰に下げていた杖を持ち、レオンの浮遊魔法を打ち消した。ゆっくりと台の上に落ちた凍った魚たちをかごに移すと、店主は「ほらよ」とその太い腕で軽々と山盛りの魚たちを持ち上げてみせ、レオンに受け渡した。うめき声と共に、レオンの体が沈んでゆく。やがてこらえきれず、魚の盛られたかごを地面に置くと、レオンは杖を取り出した。

「おっと、魔法はなしだぜ。たまには身体を動かそうや」
「いや、でも……」
「無理なら後ろの兄ちゃんに運んでもらうか?」

 ガビガビ毛皮の獣人店主は、後ろで佇んでいたラザルを指さした。ラザルは「いいですよ」と言おうとしたが、それよりも先にレオンが「一人でやれる」と言い、腕や膝を震わせながらも、時折引きずりつつも何とか店の奥へと運んで行った。
 暫くして、疲れた顔のレオンがいくつかの券を握りしめて戻ってきた。市場内で使える交換券らしい。レオンが力のない声で「いくぞ」と言い一人先に歩き出したので、二人はそれにおずおずとついてゆく形で魚屋を後にした。

◆◇◆

 一通りの目的物を手にいれたあと、休憩しようと売店に並んで飲み物を選んでいると、3人の背後から若い女性の声がした。

「レオンじゃない、ティアちゃんもこんにちは。あなたは……はじめましてかな?」

 レオンが振り向くと、そこにいたのはレオンの両親だった。険しい表情を崩さない堅苦しそうな中年男性と、笑顔を絶やさない少々軽そうな20代くらいの女性。夫婦というよりは親子に見えてしまいそうなくらい歳の離れていそうな二人は、仲良く手をつないで売店の列に並んでいた。レオンは気まずそうにしながらラザルに二人を紹介すると、ラザルも丁寧に自己紹介した。

 列に並んでいる間、若い母親は過剰なほど、レオンを終始気遣っていた。赤く擦り剥けた手(魚屋で魚を持った際に擦り剥けたらしい)だったり、緩すぎる服装だったりお金の事だったりと、せわしなく話題を切り替えながら、3人が飲み物を買い終わってその場を離れるまで、ずっと口を閉じずにしゃべっていた。一方父親は静かにそれを見ているだけだった。手を振る両親から逃げるように移動すると、レオンは大きくため息をつき、噴水の淵に座った。

「ふふ、いい両親ではないですか」
「そうか?」
「私もいい夫婦だと思う!レオンの今のお母さんとは気が合いそうだし★」

 レオンが一瞬苦い顔をしたようだった。そんなところへ、ぼんやりと空を眺めながら果物ジュースを飲んで物思いにふけっていたラザルが、ポツリとこぼした。

「お二人も、いずれあのような仲睦まじい夫婦になるのでしょうね」

 二人が恋人であるという前提に基づいた発言だった。が、しかし、お互いに相手のことが好きでありつつも、一度もその気持ちを口にしたことが無く、 ましてや恋人になろうなどという段階には片足も踏み出していなかった二人は、顔を真っ赤にしながら全力で否定した。
 当然ラザルは驚愕した。まさか、あれほどまで仲良く、そして二人きりで遊び、出歩いているような二人が恋人でないとは! なるほどこれまでの不可解な反応は、この二人は自分たちのことがはた目に恋人に見えないのだとばかり考えていての事だったのだと、今になって理解し複雑な心持ちになっていた。 これは二人の周りの人間は苦労しそうだなと、二人の慌てようを前に目を閉じ、ひときわ深く唸った。

「いや、というかその、っていうかあれだ、そろそろ飯にしようぜ」
 
 レオンが慌てた様子で話題をそらす。

「先ほど入手した食材で、何か作るのでしたっけ」
「あ、レオンの料理は絶品なんだよ★」
「自慢の……友人、ですか?ふふ」
「あっ……その」

 再びティアが顔を赤くした。

「とにかく戻るぞ!うちで料理してやるからついてこい!」

 ぷいと反転してレオンが歩き出した。長い耳が真っ赤になっている。ラザルは二人の様子がなんだかおかしくて、幸せな笑いをこらえつつ、ティアと共にレオンについて行った。 その後3人でレオンの作る料理に舌鼓を打ち、夕方になるまでゆっくりと話をしたあと、解散した。

 3人が“この3人のまま”で穏やかに過ごしたのは、これが最後となった。

第3話:まもるべきもの


 翌日の夕方。レオンが普段通りに旧校舎の地下にある秘蔵図書館に忍び込むため通り道となる渡り廊下を注意深く見渡していると、物陰に何か動くものがあるのに気が付いた。 厚く覆われた雲と降り注ぐ大雨で日光が遮られはっきりは見えないが、雷に照らされて時折確認できるあの鱗の肌と角には見覚えがある。

(アイツ……帰ったんじゃなかったのか)

 昨日、失踪事件があったらしい。今日はそれを理由に生徒は早めに帰宅するよう指示が出ていたため、真面目な“アイツ”は素直に帰ったとばかり考えていたレオンは、 この状況を異常と判断し、万が一に備えて杖を手にし恐る恐る人影に近付く。人影は、降り込む雨に打たれながら、頭を抱え震えていた。やはり様子がおかしい。レオンは息をのみ、杖を構えたまま声をかけた。

「おいラザ、お前そんなところで何してんだ。例の事件があったばっかで暗がりで独りはあぶねーし、そこにいると風邪ひくぞ」

 レオンが声をかけると、ラザルが顔を上げた。震えが止まっている。鋭い眼光。何か言ったようだったが、雷で打ち消されて聞こえなかった。 ラザルが地面に手をついて、膝を立てた。レオンの全身が、生命の危機を知らせている。いつの間にか、ラザルから震えが移ったようだった。

(まずい!)

 レオンが術を唱えるより早く、ラザルがとびかかった。レオンは転ぶようにして間一髪難を逃れると、地面に寝そべったまま拘束呪文を乱発した。 だがそのすべてを難なく回避したラザルは、再び地面を踏みこみ、レオンへと飛び掛かった。

(立つヒマも無え!)

 膝と腕を使って、地面を弾くようにラザルの攻撃を避ける。ラザルは再び振り向いたが、突然動きを止め、また震え出した。 レオンはラザルを見据えたまま、腰を擦るように座ったまま後ずさりして距離を取り、杖をラザルに向けたままゆっくりと立ち上がった。

「ううっ……うう……」

 ラザルが、苦しんでいるようだった。

「お前……」
「レオン、今です、早く、私に、拘束術を!」

 苦悶の表情が雷で照らされると同時に叫ぶように指示を受け、レオンは慌てて拘束呪文を唱えた。腕、足、尾、首を拘束し磔にすると、ラザルは再び暴れ始めた。 強力な竜人の筋力に何度か拘束術がはじけ飛んだりしたが、すかさずかけ直すことで対処し、そのまま二人は十数分ほどにらみ合った。


 落ち着きを取り戻したラザルを連れ、レオンは一旦新校舎側の教室まで戻ってきていた。失踪事件があったばかりで皆早めに下校してしまい、新校舎側も人気が無い。
 炎魔法を活用した熱風で体を乾かしつつ、二人は窓を背にして椅子に腰掛け、向かい合いもせず話をしていた。実はこれまで何度もこの“混乱症状”の予兆があったこと。 先日の海でも同様な状況になりかけて、慌てて防護魔法をかけたこと。少しずつ、間隔が狭まってきているように感じること。レオンに教わった、精神干渉用の防護魔法が全く効かないこと。 症状の出ている間は、人間に対してのみ、強い恐怖と憎悪、殺意を感じること。

「やはり、何かの病気なのかもしれません……」
「……」
「一度本国に戻って、体を見てもらう必要があるでしょうか」
「……そうだな。けど」

 レオンは熱風を止めると、少し考えた後、続けた。

「けどその前に、見てもらいたいものがある」

 レオンは立ち上がると、「ついてこい」と指をクイと動かし教室を出て行った。ラザルは不振がりながらも、そのあとをいそいそと追っていった。

◆◇◆

 旧校舎の地下に隠された、秘蔵図書館。民に知られてはならない忘れ去られた歴史や事件、教会が触れてはならないとしている魔法の根源、あるいはかつて開発された危険な秘術について 記された書物たちが厳重に保管された場所。教会にも秘匿された、学園側の最奥地。幾重にも防護/警報魔法が掛けられ、解除術式を知らなければ近づけもしない場所。
レオンとラザルの二人は、そんな場所のさらに最奥地……古い歴史の書物が保管されている地点まで侵入していた。レオンの緻密で複雑な独自術で、厳重な防護/警報魔法をかいくぐり、 奥地へと侵入したのだ。レオンが言うには、ここに見せたい情報の記載された書物があるのだという。手に取られたのは、古めかしい日記帳のようなもの。

「読んでみろ」

“結果的に、僕は竜人のみんなを変えてしまった。それが良い事だったのかどうかは分からない。しかし少なくとも人間側にとってはとても意義のあることだっただろう。 少なくともこれからは、竜人族の、理由のない殺意に怯えずに済むのだから。僕自身、エ×××から受け取ったお守りが無くても、竜人族と話ができることは喜ばしい。”

「これ、竜人の、昔の……」
「だろうな、かつての竜人の、それを知っていた時代の人間の日記……」

 レオンはまたページをいくつかめくり、記述を示して見せた。

“××シス様の力で変わった竜人たちは、みな僕のようだった……当たり前か。僕の心が転写されたのだから。こんなことを考えるのはよくないのだけれど、なんだか少し、居心地が悪い。 明日僕は、竜人国――エルドラを、離れようと思う。”

 ラザルがレオンから奪うようにして本を手に取ると、さらに過去にさかのぼってページを読み漁り始めた。

「我が国でも、過去の情報は残っていないのです。これは、これは重大な情報だ!」
「残っていないんだか、ここみたいに隠してんだか……」
「隠して……ということも、しかし、ちち……いえ、あの国王に限ってそれはないと思うのですが」

 ラザルが端から順に日記を読みふけっている。その読破速度は、レオンも目を見張るほどだった。しかし何かに目を止め、口を覆い、ラザルのページをめくる手が止まった。

「あ、ああ、そんな、そんなことが……」

“昨日宿を借りた村の人間は、全員竜人に殺されてしまった。竜人と話をつけると竜人兵の駐屯地へ向かっていった村の英雄ももう居ない。昨日僕に花冠をくれた少女も、今は土の中で、ただ、眠り続けている。”

 読み進めてゆくと、竜人による無残な人殺しの記録が次々に見つかった。ラザルはすっかり気を落とし、近くの椅子に座っている。レオンは日記を本棚に戻すと、ラザルの前に立ち、目線を合わせて言った。

「お前のその“混乱症状”、もしかしたら病気ですらないかもしれねえって……まだ全然情報は足りねえけど、もしお前の国が隠している過去に関係することなら、バレるのはまずいかもしれねえぞ」
「国の、秘密、そんなもの、あるでしょうか。しかし、国王の年齢を考えれば、あながち……」

 突然、レオンがラザルの口をふさいだ。明かりと気配を消す。二人で息を殺していると、声が聞こえた。

「だれかおるんか」

 不法侵入しているのだ。見つかっては、まずい。二人は見つからないよう祈りながら、息をひそめた。レオンは杖を複雑に振り回すと、無詠唱で認識阻害をかけた。 並の術者であれば、これで見つかることはまずない。足音が近づく。コツ、コツと響くそれが少しずつ大きくなったかと思うと、本棚の陰から、大きな毛むくじゃらが現れた。ロク先生だ。
 ロクは目を細め、二人の居るあたりを凝視した。レオンとラザルが息を飲む。

「……レオンか。ここへは入るなと言ったろうに」

 見透かされている。しかし二人は答えなかった。ロクは小さくため息を吐くと、杖を一振りして認識阻害を解除した。

「さあ、これでもう解ったろう。その程度の技術では隠れられんぞ。……そろそろここに巡回が来る時間だ。今日は随分と不用心だな、レオン」
「先生……」
「安心しろ、今更突き出したりはせんよ。生徒を追放なんて、わしらはもうしたくないでな。しかし、もみ消すにも限界がある。まずは今をやり過ごさんといかん……レオン」
「はい」
「もう一度、認識阻害をかけとけ、今度はもうちっとましなやつをな」
「わかった」

 レオンは頷くと、杖を複雑に動かし始めた。ラザルははっとして問う。

「私も、私は、何をすればよいでしょうか?」
「んん?ああ、レオンに任せとけ。この“天才くん”が全部うまくやっちまうだろうよ」
「はあ……」

 レオンの超多重認識阻害が発動したところで、再び足音が響きだした。巡回だ。ロク先生は「じっとしとけよ」というと、調べ物をしているフリを始めた。足音が近づく。

「おや……」

 近づいていた明かりがロク先生の前で止まると、人影は明かりを高く持ち上げた。赤茶色のローブを纏った細身の中年男性。たしか、飛行術関連の授業で見たことがある。 ロクは目を細めると、飛行術教師に向かって「よう」と言った。飛行教師は安心した顔をすると、明かりを浮かせ、フードを下して椅子に腰かけた。

「なんだ、ロクさんでしたか……あなたも“アレ”の調べ事ですか?」
「ああ、そうだ。教会の考えはなんであれ、俺たちは生徒を守らんとな」
「そうですね……相手が精霊である以上、公に手を下せば教会が黙っていませんし、何とかうまく対処する方法を探さなければ」
「歯がゆいな」
「ええ、本当に」

 ロク先生と飛行術教師は、共に苦い顔をした。飛行術教師が、頬のこけた貧相な顔をさらにへこませて、話を続けた。

「……良くない考えですが、竜人族が何とかしてくれるのが、一番助かるのですが」
「国内の問題を、他国に押し付けるのは……」
「わかっていますよ、本当は皆」

 失踪事件の事だろうか、と、レオンは当てを付けて聞いていた。誰も手を出せないのならば、俺がやってやると、熱い正義感がこみあげてくるのがわかる。 ロクと飛行術教師の話は、そのあともしばらく続いた。二人の会話の中には、精霊の特徴に関する話題もあった。べたっとしたくせ毛長髪に、陰のある整った顔立ち。 背筋のゾッとするような上目遣の笑顔。レオンとラザルの二人は、同じことを考えていた。話を聞く限り、どうも精霊の特徴に覚えがある。自分たちは、その精霊に出会ったことがある。

長く話し込んだあと、飛行術教師は一礼して、明かりを手に持ち秘蔵図書館の奥地へと向かっていった。足音が聞こえなくなってしばらくしてから、ロクは二人に「いいぞ」というと、 くるくると杖を回してレオンの術を打ち消した。

「先生……」

 レオンが眉間にしわを寄せたまま、何かを言おうとした。しかしロク先生はそれを遮るように、二人の方を力強く握って、たしなめるように言った。

「いいか、レオン、ラザル。余計な企てをするんじゃねえぞ」
「しかし、先生……」

 ラザルも、視線を床に落としたまま、声をこぼした。

「竜人族であるお前に、情けないモノを見せちまったなあ……アイツの言ったことは、気にせんでいい。俺らはずっと、竜人族に頼りすぎとるからな。 今回はメルトリーネの大人だけで何とかする。ともかくまずは、ここから出ような」

 ロク先生は、二回、軽くラザルの肩をたたいた。そして毛むくじゃらの巨体をゆっくり反転させると、「帰るぞ」と言い、二人についてくるよう促した。レオンとラザルの二人は素直に返事をすると、ロク先生の後を追って、秘蔵図書館を後にした。

 魔法学校の広大な敷地の端にある用務員室、ロク先生の住居と化しているその小屋まで無事移動した三人は、再び顔を突き合わせて話をしていた。歩いている間に気持ちの整理がついたのか、ラザルは顔を上げ、元の落ち着いた表情に戻っている。レオンは相変わらず、眉間にしわを寄せていた。ロク先生は、何度も繰り返し、下手なことはするな、精霊には手を出すな、大人に任せろと言ったが、レオンはそれに納得しない。

「被害が出ていて、原因もわかっていて、でも決まりだから手を出すなって、そんなの俺は納得できない!」
「だがな……」
「放っておけば、また被害が出るんだろ、いつかやらなきゃならないなら、早くやった方がいいに決まってんだろ!」
「しかし今はな……」

 レオンの言うことは尤もだった。しかし、この国の現在の覇権は教会側で、その教会が精霊を神聖なものと崇めているのだ。先日追放された学生“アルノ”も、教会の禁忌に触れたために追放されたのだ。精霊殺しなどしようものなら、その報いは必ず受けることになるだろう。

「どうせ誰かがやらなきゃならないなら、俺がやる。俺ならうまく……」
「レオン」

 ラザルが腕を突き出し、レオンの胸に手を置いて、静かにレオンの言葉を遮った。

「君の言うことは、きっと正しい」
「あ、ああ」

 ラザルは、強く、それでいて悲しみを纏う瞳で、まっすぐレオンの目を見つめている。レオンはその顔を見て、小さく狼狽えた。
 
「けど、たとえ正しくても、正しいというだけでは実行できない。複雑に絡み合った事情があり、それを加味しなければならない場合もある」
「だけど」
「人が集団で生きるというのは、簡単ではないんだ」
「そんなの、そんなこと俺だって別に」
「うん、だから、僕らはまず、落ち着いて考えよう」
「……わかった」

 レオンはため息をつき、切り株に腰かけた。ラザルは立ったまま、静かに、自国の討伐部隊への救援要請を検討していた。地域の治安を維持するため、人々が安心して生活できるように編成された、竜人国独自の治安部隊。その中で、とくに精鋭を集めたはぐれ精霊の討伐部隊がいる。

(父は……)

 ラザルは目を伏せ、秘蔵図書館で目にした日記を思い返した。

(おそらくあの時代から、父は生きていたはず)

 ラザルの父は、特別な竜種だった。寿命は千年を優に超え、長い時代を生きる種の竜人。この魔法国メルトリーネも、竜人国エルドラも、そう歴史の深い国ではない。建国以前の古い時代から、ラザルの父は生きていたはずだった。

(必死になって他国の治安維持まで行うのはきっと、罪滅ぼし)
(きっと……)

「レオン」
「あ?」
「今日は、ひとまず帰りましょうか」
「ああ、だな。もうおせーし」

 レオンは立ち上がり、ズボンについた木くずを払い落とすと、ロク先生の方を向いて一礼した。ラザルも遅れて一礼する。

「気を付けて帰れよ」

 レオンとラザルは同時に小さな光球を作り、浮かべると、不安そうに見つめるロク先生を置いて、共に帰路についた。

◆◇◆

 また翌日。レオンが学校へ登校すると、広場で騒ぎが起きていた。騒ぎの中心にあるのは、特設された大きな掲示板。手早く飛行棒にまたがり掲示板を確認したレオンは、小さく舌打ちした。上部には、失踪事件の続報。行方不明者の名前が連なっている。中には、飛行術講師の名前もある。今回は、複数人の被害が出たようだった。そして下部には、一時休校のしらせ。

“上記失踪事件への対処のため、一時休校とする。休校期間:未定(目途が立ち次第各家庭へ通達します)。緊急事態により、不要不急の外出は控え、止むを得ない場合は複数人での行動を心がけてください。”

(ロク先生……ちゃんと、対策できンだろうな)

 辺りを見回す。戸惑う者、恐怖する者ばかりがいる。当然だろう、ここにいる者は、まだ就学中で未熟だった。

(俺なら、いや、“俺達”なら、きっと何かできる)

 ラザルのことが頭にあった。レオンは魔術においては誰よりも秀でている自負があったが、総合的能力については、自分はラザルには及ばないと、一目置いていた。事情を把握している彼の力を借りない手はない。
 レオンはその場を離れると、ラザルの住む借家へと急いだ。

◆◇◆

「ここに住んでいた竜人の子なら、今朝国へ戻りましたよ。暫くは戻らないんじゃないかね」

 レオンがラザルの家の前で小一時間ほどたむろしていた所、借家の管理人が通りかかった。管理人はラザルの不在を伝えると、懐から封筒を取り出し、レオンへ差し出した。

「はいこれ、お手紙」
「あ、はい」

 エルドラの紋章が小さく記されただけの飾り気のない封筒に、ラザルの名前が記されている。レオンは管理人に一礼すると、近くの噴水に移動し腰かけてから、丁重に開封した。

“エルドラ側から何か手を打てないか、国王や兵団へ掛け合おうと思います。危険だから、レオンはアレに手を出さないでほしい。今日まで色々ありがとう。また3人で遊べる日が来ることを切に願っています”

 ここまで来るまでにかいた汗が急に引き、代わりに疲れが噴き出したようだった。決断も行動も、アイツの方が早かった。出し抜かれた。俺は、期待されていない。見放されたような気分だった。初めからこうするつもりだったのだろうか。それを話せないほど、俺は信用ならないのか?俺じゃ無理だって、そんなに俺は弱く見えたのか?思考が巡る。レオンの脳内はしばらく、精霊の被害を防止するという本題からズレた部分で、堂々巡りを繰り返した。

(いずれにしても、目の前で被害が出てるってのに、事情を知ってるってのに俺だけ何もするなって、そんなこと……)

 ロク先生とラザルの二人に止められている。協力者は居ない。けれど、だから何だというのだ。自分は他の生徒たちとは違い、確かな力がある。事情を知ってしまった以上、力を持っている以上、“それをしない”こと自体が罪ではないだろうか。
 しかしふと、先日追放されたアルノ先輩の事が頭をよぎった。万が一精霊を殺したなどと教会に知られれば、自分も彼と同様、国外追放となるかもしれない。

『アルノのようなのはもうなしだぜ。俺は!俺はあんな思いはもう沢山だ!』

 ロク先生が叫んでいた言葉。いつになく悲痛な声だった。自分が国外追放されたとして、哀しむのはロク先生だけではないだろう。両親や友人、それに、ティア。

(そんなことになったら、やっぱりあいつ、泣くかな。けど)

 レオンは手紙をしまい、今後の行動計画を頭の中で練り始めた。まずは事件の詳細の把握、次に秘蔵図書館での調査。対策用道具の準備……

(ちゃんと調べて用意すれば、絶対にうまくやれる。俺はあの先輩みたいな失敗はしない)

 失敗しなければ、ばれなければ問題ない。レオンは何事も“いかにうまくやるか”だと考えていた。これまでそうやってきたし、これからもそのつもりだ。なんだって緻密に用意し、間違いなく実行し、成功する。レオンは飛行練習用の“椅子付き棒”にまたがると、多重認識阻害を自らに丁寧にかけ、情報収集へと急いだ。

◆◇◆

 また翌日。被害者は増える一方だった。レオンの調査も、行き詰まっていた。目撃者もなく、失踪であるからには死体も無く、情報が得られない。どんな対策を打てばよいのか、過去の記録から同様の事例を探る以外には手が無かった。秘蔵図書館含め様々な記録を調べたが、レオンはまだこれといった対策を導き出せずにいた。
 ただ一つだけ、良いものを見つけた。秘蔵図書館の奥の奥、さらに術で固く閉ざされた部屋の中に大量に隠されていた破術の黒鉄。この金属は、すべての魔法を大小の規模にかかわらず、完全に無効化する。レオンはそれをひとかけらだけ拝借した。精霊は魔法のようなものでできているらしい。魔法で生活する自分たちにとっても破術の黒鉄は厄介な存在だが、精霊は、触れるだけで命を落とす可能性すらある。これを活用しない手はない。

 レオンは自宅の台所にある机で、食事をしつつ、破術の黒鉄を眺めていた。

(小さな石ころなのに、直に触れるとやけにずっしりと重く感じる……)

 レオンがうなだれていると、そこに父が帰ってきた。慌てて破術の黒鉄を隠し「おかえり」と声をかける。

「ただいま。今日は家に居たんだな」
「まあ」
「親としてはその方が安心するが、このところ忙しくしていただろうに、どうした。なにかあったのか」
「いや、別に……」
「そうか……」

 一瞬の沈黙の後、ぎし、という音を立て、父親がレオンの隣の椅子に腰かけた。父は机に置いた鞄から封筒を出すと、レオンに差し出した。

「例の失踪騒ぎの会議のついでに、ロク先生から手紙を預かった。中は見るなと念を押されている。お前が見て、言える範囲で私に報告しなさい」
「そんなに気になるなら、見てもいいぜ」

 ツンとした態度で手も出さずそういうと、父は表情も変えずレオンの手を取り、手紙を握らせ、言った。

「駄目だ。これはロク先生との約束でもあるし、私はお前を信じている。お前は頭がいい、私の若いころよりも、ずっとだ。小さな子供でもないし、お前のことはお前自身に決めさせたい。それを見てしまえばきっと、私は、お前の言うことよりも私自身の考えが先行してしまう」
「なら、部屋で読む」

 そういうとレオンは立ち上がり、手紙と破術の黒鉄の入った小さな袋を持って、自室へと向かった。

 自室で手紙を開くと、白紙とインクと、小さな光の玉が飛び上がった。人口精霊だ。薄い封筒に仕込めるほどの繊細な術。あの毛むくじゃらの巨体がこんな術を使うのかとレオンは少しだけ微笑みながら、小さな人口精霊に触れた。
 人口精霊は小さなささやくような声で「レオン」というと、これまた小さくはじけ飛んだ。同時にインクが白紙めがけて飛んでゆく。出来上がった手紙をそっと持ち上げると、レオンは綴られた文字を目で追った。

“あー、直接行けなくてすまん。時間がなくてな、その、例の事件の対策で走り回ってばかりで”

 レオンは話し言葉で書かれた文字を見て、また少し笑った。声を文字にする魔法なのだろう。

“話した通り、大人たちでなんとかできるよう、教会とも協力している。あちらさんでも、今回のやつのことを「悪質な魔物」で「神の使いではない」というわけで、退治すべきという意見があがっとるようだ。人間っつうのは、勝手なもんだよな。……話がそれちまったが、とりあえずもう少ししたら、討伐の方針で動き出せると思う。もうしばらくの我慢だから、おとなしくしていてくれんか。”

 さっきまで微笑んでいたレオンの表情が険しく変わり「まだ方針検討段階かよ」とつぶやいて、舌打ちした。レオンはさらに読み進める。

“そうだ、どこかの天才が例の図書館から盗みを働いたらしくて、しばらく警備が強化されるようだ。その天才が、これ以上下手な気を起こさんことを、祈っとる。以上だ”

 小さなため息ののち「バレたか……」とこぼすと、レオンは手紙を引き出しにしまい込み、部屋を後にした。1階で大量の書類を広げてしかめっ面している父へ簡単に嘘の報告をすると、再び外へと情報収集に出かけて行った。しかしこの日の調査も実りはなく、徒労に終わった。

 翌日。やはり被害者は増えたらしい。何もできない焦燥感を感じながら、レオンは市場前の広場でひとり、長椅子へ腰かけていた。連日の騒ぎで、流石に人が少ない。皆家で身を寄せ合って、震えているのだろう。レオンはしばらく、活気のない市場をぼうっと眺めていた。

「よお、元気ねえな」

 レオンの背後から声。顔を向けるとそこには、ガビガビの毛皮の獣人……魚屋の店主が、快活な、しかし少し無理をした笑顔で立っていた。魚屋店主はレオンの隣に腰かけながら話し続けた。

「ま、無理もねえがな。おめぇは家に居なくていいのか」
「俺は……用事があるんで」

 レオンはそっけなく、体勢を変えずにそう返した。それを見た魚屋店主は満面の笑顔をやめ、慈しみに満ちた、優しい表情(かお)を作り、レオンを心配するように言った。

「そうは見えんがな。なんか悩みか、不安か。天才君の考えることは俺にはわからんかもしれんが、話してみるか?」
「からかわないでくださいよ」
「からかってねえぞ?本気だ本気。おっさんが力になってやるよ」
「はあ」
「ま、好きにしろや」

 魚屋店主はそれ以上何も言わず、ただレオンと同じようにがらんとした人通りの少ない市場を眺めながら、静かに座っていた。しばしの沈黙の後、口を開いたのはレオンの方だった。

「おっさんは、なにもしないんですか」
「ん?」
「例の騒ぎで、何かやろうと思わないんですか」
「ああ、失踪のあれな。俺は俺のできることをやってるだろ」

 レオンが不思議そうにぼんやりとした顔をしているのをみて、魚屋店主はつづけた。

「俺は日常を壊さないことと、家族を守ることをしてんだよ」
「そっすか……」
「んだよ、不満か?」
「別にそういうわけじゃないっすよ」
「不満じゃねえかよ」

 不服そうにしているレオンを横目に、魚屋店主はさらに続けた。

「ま、本当は何とかできるなら何とかしたいがな!俺には無理だろうから、本当に大事なものだけでも守れるよう、過ごしてんのさ!」
「それはでも、ずるくないっすか」
「そうだぞ。だがな、どこまでやったら“ずるくない”んだ?」
「それは……」

 レオンがうつむく。それを見た魚屋店主は再び満面の作り笑顔をして勢いよく立ち上がると、レオンの背中を数回強くたたき、言った。

「お前の悩みはよくわかった!悩め少年!それについては何にも手出しはできねえ。俺ァまた店番でもしてらあ!」
「え、あのちょっと」
「じゃあな!」

軽快な足取りで店舗へ帰ってゆく魚屋店主。残されたレオンがまた遠くを眺めていると、とてつもない勢いで近づいてくる飛行物体があることに気が付いた。あの水色の髪にはよく覚えがある。レオンはため息交じりに杖を抜き、追突による大けがをしないよう術を唱える。

「レオンーー!」

 少女の声が広場に響く。レオンが展開した術が、飛行物体めがけて飛んで行く。押さえつけられるように速度を低下していった飛行物体は、丁度レオンの目の前辺りでぴたりと静止した。少女は飛行棒から「よいしょ」と降りると、爆ぜるように話し出す。

「レオン、私、お告げもらっちゃった!」
「はあ?」

 突拍子もないティアの一言に、眉間にしわを寄せて反応してみるレオン。

「私、お告げ、もらっちゃった!」

 聞き取れなかったと理解したのか、同じことをゆっくりと言い直すと、目を輝かせて、反応をうかがっているようだった。若干たじろぎながら、レオンが「どんな?」と聞くと、夢を見たという。ティアの要望で人通りの少ない裏路地に移動した後、ティアは夢の詳細を語った。北の森で苦しむ精霊を一人で助けに来るようにというお告げで、それが失踪事件の解決につながると、真っ白な神々しいなにかが言っていたそうだ。レオンは当然、訝しんだ。なぜ一人で?なぜティアに?少人数でなければならないというならば、ティアのようないち学生ではなく、もっと能力の高い手練れに頼むことはできなかったのか?

「お前、それで、どうするんだ」
「当然、いくよ!精霊様の力になりたいもん」

 両手でぐっと拳を握って見せるティア。

「で、なんで俺に話したんだ?一人じゃないといけないんだろ」
「レオンには、話しておきたくて……だって、何もなく最期になったらいやでしょ」
「危険性は理解してんだな」
「そりゃ……だって、最近みんな、外出は危ないって事あるごとに言うでしょ。そんな中、郊外の森だもん」

 自分の事は自分で決めるべきだ、口を出すべきではない。他人が指図をするのは、間違っている。けれど、レオンはティアを止めたかった。言葉がまとまらないまま何度も唾をのんでいると、再びティアが口を開いた。
 
「ね、あのね……その、ぎゅって、して」
「な、それ、その、なんでだよ!っていうか、マジで最期っぽくすんなよ……」
「や、ウソウソ、ウソだよ~だ★」

 顔を真っ赤にしてうつむいたまま、ティアは「えへへ」と声に出して恥ずかしがっていた。レオンは意を決し、ティアと同じように耳まで赤らめながら、手を引き、優しく抱きしめた。

「……これでいいか」
「や、ご、ごめん、無理強いはしないよ、もういいよ、大丈夫!」

 レオンの胸を両手で押し返すと、今度は顔を両手で覆って、しゃがみ込んでしまった。レオンはそこに棒立ちしたまま、ティアに話しかけた。

「別の人に任せようぜ。お前が命を懸ける必要はねーよ」

 顔を覆ったまま、籠った声でティアが答える。

「……でも、私じゃないとダメだって」

 レオンは頭の中が整理できないまま、話し続けた。

「何とかなるって。何なら俺が行ったっていい。お前は家で待ってろ」
「でも、でも、私が頼まれたの。それにレオンに頼んだら、レオンが危険を犯すことになるんでしょ。擦り付けただけじゃん!それってなんか、ズルくない?」

 手を少しだけ下にずらし、上目遣いでレオンを見ながら、相変わらず籠った声でティアが答えた。レオンはその答えにたじろぎ、言葉を詰まらせた。自分だって、自分の立場ならそう思うだろう。さっきだって、魚屋のおっさんに言ったばかりだった。自分自身の意見の整合性が取れない。いったい自分はなにをしたいのだろう。迷っているうちに、落ち着きを取り戻したティアが立ち上がり、言った。

「レオンが何と言おうと、私は行くよ」
「けど、あぶねーよ」
「そんなことくらい解ってるって言ったでしょ。大丈夫。さっき、勇気もらったから。それに……」
「それに?」
「きっと、お告げの神様が助けてくれるよ」

 止めなければ。けれど、説得する理由がない。考えた末、レオンが出した答えは妥協案だった。

「わかった、けど、俺もついていく。バレないようにするから。それでいいだろ?」
「……うん。ありがと、レオン」

 そのあとは、二人で対策などについてじっくりと話し合った。やがて日が暮れ陸風が吹き始めた辺りで、レオンとティアは別れ、帰路に着いた。森に向かうのは、明日の早朝。集合場所は、北の森に向かい易く人目に付きづらい北部の教会の裏。レオンは不安を募らせながらも、考えうるすべての準備をし、就寝した。

第4話:断罪

 早朝。レオンは前日に用意した荷物を携え静かに家を出ようとしたが、玄関で母に呼び止められた。物陰から現れた母は、眠そうに眼をこすりながらレオンに問いかける。

「まだ、朝早いよ?」

 悟られないよう、レオンは顔色一つ変えず答える。

「ちょっと、釣りに」

 母は、それを聞いて何かを言いたそうに、言葉を選んでいるようだった。そんな母を見かねて、レオンはつづけた。

「別に、そう遠くには行かないし、心配しなくていいすよ」
「……帰ってくるよね?」

 母の瞳は、レオンの目をまっすぐに見つめていた。見透かされている。この人は、なぜこんなに鋭いのだろうとレオンはいつも不思議だった。しかし事情を話すわけにはいかない。向かう場所には危険があるかもしれないなどと伝わっては、余計な面倒ごとを増やすうえ、ティアが一人で向かうことになってしまう可能性がある。レオンが居なくとも、ティアは一人で向かうはずだ。

「ちゃんと安全なところを選びますから……カルメさんは心配しすぎです」
「まあレオンなら心配ないんだと思うんだけど、やっぱり親としてはちょっと心配になっちゃうときってのがあってさ。……ごめんね、いってらっしゃい」

 レオンの母カルメが、作り笑顔で小さく手を振りながらそう言った。本当は引き留めたいのだろう。けれどこの母は、父を慕い、尊敬し、強制されるでもないのに、その方針に静かに従うようにしていた。ゆえにレオンを親の気持ちで縛ることはできないのだ。レオンは普段、それを逆に心苦しくも感じていたが、今日ばかりは都合がよい。レオンは頭を下げながら「いってきます」と家を後にした。

◆◇◆

 無事合流したティアとレオンは、徒歩で北の森へ向かっていた。面倒ごとを避けるためレオンが認識阻害をかけたのだが、ティアが何かの魔法を使うと、なぜだかそれが消し飛んでしまう。 仕方なく、二人は山道を歩いているというわけだ。メルトリーネ人にとって、魔法なしでの長距離移動はなかなか堪えるものだった。二人は何度も休憩をはさみながら、ゆっくりとなだらかな山道を進んでいった。 身を寄せ合って、いつ襲ってくるかもしれないものに怯えながら、二人きりで。

 ティアは昨晩、北の森の景色を夢で見ていた。小さな湖に針葉樹の大木が2本、壊れた桟橋があって、古びた小屋がある。 そこに、怯えた精霊が倒れていた。二人のひとまずの目的地はそこだ。北の森の樹は、背の低い広葉樹で形成されている。 人工物があったことから、元々人が生活していた場所なのだろう。針葉樹も、人為的に植えられたものに違いない。 目的地は人間の往来が容易な場所にあるとみて、レオンは歩きやすい土地を選んで進んでいた。嫌に静かな森の中、二人の足音と、声だけが響く。

「精霊がさ」
「うん」
「マジでこの間の奴みたいな、ヤバいやつだったらどうする」
「逃げる!」
「一連の失踪事件の首謀者だったら、そう簡単にいかないかもしれねーぞ」
「それなら、懲らしめるよ」
「どうやって?……そもそもそれが教会にしれたらやべーぞ」

 レオンが歩みを止めた。ティアも、レオンの方を振り返って止まった。

「なあ、ここまで来て、今さらであれだけど、やっぱ引き返さねーか」
「なんで?」

 ティアはほんのり悲しそうに笑った。

「いや……ごめん、行こう」

 レオンは未だ、決心がつかないでいた。けれどティアを止めるだけの理由が見つからない。声に出かかったその気持ちを再び飲み込むと、また歩み始めた。ティアも遅れないようついてゆく。 早朝に出てきたのに、すでに日は頭上に高く昇っていた。休み休み移動しているせいで、さほど町からも離れていない。それでも、魔術師たちには堪える距離だった。

「あ」
「ん?」
「そろそろ飯食うか」

 レオンは浮かべていた荷物から軽食を取り出すと、ティアに手渡し、近場の岩に腰かけた。受け取った肉厚の果物の砂糖煮を挟み込んだ柔らかなパンをほおばりながら、ティアが話す。 レオンは暫く、黙ってそれを聞いていた。

「本当は、ちゃんとわかってるよ。たぶん、きっと、失踪事件にかかわることなんだろうなって予感は、お告げをもらった時からわかってるから」
「教会の事とか、議会の事とか、オトナたちは色々難しいみたいだから、だから私がやるしかないでしょ。バレなければ大丈夫だし、いつまでも放っておくわけにもいかないことだもん」
「きっとね、きっと、これはきっと傲慢だと思うんだけど、今大人を除いたすべてのメルトリーネ人の中で、一番強いのは、きっとレオンと私なの。ほんとはラザくんも居るとよかったかもしれないけど、今はいないみたいだったから……」

 ティアの意思は固い。ごくりと最後の一口を飲み込んだところで、レオンが口を開いた。

「わかった。俺たちで何とかしよう。きっとできる」

 ティアはそれを聞いて、嬉しそうに微笑んだ。

「それに、やらなきゃいけないって、俺もずっと思ってたからな」
「うん、私たちの使命なんだよ、きっとね」

 立ち上がり、ズボンに付着した砂や枯れ葉をゆっくり払い落としているレオンの表情は、煮え切らないままだった。心の中で「けどお前には、背負わせたくなかったけどな」とつぶやき、それからやっと、前を向いた。

「……いくか」
「うん」

◆◇◆ 

 二人は森の中をひたすら進んでいった。道は次第に細くなり、木の影は濃くなっていった。手つかず小川のせせらぎが響き渡る場所で、二人は小さな湖を見つけた。湖畔から、桟橋がかかっている。遠くに針葉樹の大木が2本と、小屋が見える。間違いない。そしてその桟橋の先端に、人影。二人は警戒して、物陰からその姿を観察していた。しかし日が落ちてしまい、魔法の矯正があってもそれ以上の情報は得られない。

「くそ……人なのか、それともあの時の精霊なのか…」
「近付くか、光球つくって浮かべるしかなさそうだね」
「近付くのはナシだな」

 レオンは杖を複雑に動かし、光球に変化する人工精霊を作り出した。人工精霊は、草むらに隠れながら、レオンたちから離れてゆく。そして目視できなくなった辺りで空に浮かぶと、そっと人影の上に浮かび、ぼんやりと光りはじめた。二人は息をのんで、じっと観察した。

 人影は、光球に気が付いて立ち上がった。フードを被っていて、顔が見えない。きょろきょろと辺りを見渡したあと、もう一度光球を見、光球を指さした。すると光球が大きく膨れ上がり、辺り一帯を昼間のように照らし出した。

 レオンたちは初めて、人影の輪郭をはっきりと目に捕らえた。人影はこちらを向いて、立っている。偶然か、はたまたこちらを見つけているのか。二人は動かず、じっと待った。数分の膠着ののち、人影はフードを下ろした。あの日見た、いやらしい笑顔。間違いない、こちらを認識している。

「ティア!飛べ!」

 気が付くと、足元の凍結が始まっている。二人は素早く飛行棒を取り出しまたがると、空高く飛び上がった。レオンは精霊に向かって体勢を立て直し、次の行動に備えた。ティアの姿は、空高くに消えてしまって見えない。

 レオンが攻勢に出る前に、鋭利な氷がレオンに向かって次々に飛んできていた。身を翻し、間一髪で躱してゆく。精霊の攻撃は止まない。次第に氷の刃の数が増加してゆく。レオンも必死に撃ち落とし、間を縫って飛び続けるが、キリがない。しかし、反撃に出るまでの余裕はなかった。ただ、どうすることもできず避け続ける。

 そこへ、超強力な衝撃魔法が降り注いだ。大量に飛翔していた氷の刃が一掃される。レオンは衝撃波をすんでのところで回避すると、人工精霊の防護魔法を準備しつつ、空を見た。ティアがさらに次の一撃を準備しながら、超高速で近づいてくる。一方精霊が放つ氷の刃も止まらなかった。レオンは10体ほどの人工精霊を放つと、自分を守るよう言い聞かせた。人工精霊たちが、近づいた氷の刃を破壊してゆく。しかし10体程度では対処が追いつかない。飛翔する氷の刃は、徐々に数を増やしてゆく。ティアはそれを見ると、再び強力な衝撃波でそれらを消し去った。

 すると今度は、氷の刃の飛翔速度がグンと上がった。人工精霊は完全に対処できなくなり、破壊された。ティアは衝撃波を放つが、躱される。もはや直線的な攻撃では、捉えることができない。ティアは発想を変え、大きな魔法障壁を召喚し、その後ろに退避した。ティアめがけて飛んでいた刃のいくらかが、障壁にぶつかって砕け散った。

「止まんな!動けティア!」

 障壁の後ろで一息ついていたティアに、変則的に飛ぶ氷の刃が迫っていた。レオンの声に気が付き、慌てて飛び出すティア。刃はティアをかすめ、飛行棒を粉砕した。ティアは落下し、そこへ氷の刃が迫る。レオンは攻撃をかわしつつ軌道を修正し、ティアに向かおうとした。しかし邪魔されて思うように近づけない。

「まずい、何とか……クソッこいつら!」

 ティアは目を閉じ、杖を持って何かを唱えている。レオンの心臓は張り裂けそうだった。刃が今にもティアに触れるとき、ティアを中心に強烈な爆発が起こった。レオンと、レオンを追っていた刃も衝撃を受ける。爆炎が消えると、そこにはティアだけがふわふわと浮かんでいた。服もボロボロになって、満身創痍という表情のティアが、髪留めに使っていたリボンにつかまって、ゆっくりと地面へと降りてゆく。レオンは、残る氷の刃を粉砕すると、急ぎティアに寄り、抱きかかえた。ティアは青ざめ、震えていた。一旦地面に降り立つと、杖をふり、地面に特殊な障壁を張った。拍手が聞こえる。

「お見事!流石ですね!」

 桟橋の先端からレオンたちがいる湖畔に向かって、氷の橋がかかってゆく。精霊はゆっくり歩きながら、二人に近づいていった。ティアがレオンの腕の中で落ち着きを取り戻し、立ち上がる。レオンは精霊に対峙しようとするティアを手で押さえ、後ろに下がらせた。

「飛行技術に関しては先般現れたオスの人間の方が上等でしたが、ここまで対処できたのはあなた方二人が初めてだ」

 精霊はまた手を叩いた。楽しそうな精霊を見て、レオンは顔をしかめていた。

(先生のこと、だろうな)

 おそらく、飛行魔術の教師の事だ。やはり一連の失踪事件はこいつの仕業ということなのだろう。根拠としては情報不足で、かつ安直だなと思いながらも、レオンの中で一応の結論として、事件と精霊を紐づけた。

「さて……」

 精霊が真顔に戻った。

「やるか?」

 レオンが杖を突き出す。

「まさか。私は食事をするだけです。運動はおしまい。戦いを楽しむつもりは、もうありませんよ」

 やさしそうに微笑む精霊。視線だけをティアに向けた。ティアがレオンを押しのけて前に出る。

「精霊様」
「なにかね」
「今日までに、集められるだけのエレムを集めてきました。……エレムが足りないんですよね?」

 じゃら、と、ティアは手のひらに小粒のエレム結晶10個ほどを広げて見せた。

「なるほど。しかし……」

 精霊が何かを言いかけたところで、レオンが再びティアを後ろに押し返し、割り込んだ。

「んなもんしまっとけ。たぶんこいつ、違うぜ」
「ご名答」

 濁った瞳で微笑みながら、精霊は手を広げた。レオンとティアの周りに、氷の牢屋が形成される。

「私はね、早く昔のような力を取り戻したいのだよ。エレムは必要だが、それはエレム結晶が欲しいという意味ではない」

 レオンは小さな声で呪文を唱え、足元に設置されていた障壁に細工をした。文様が赤く光り、熱を発し、辺りを熱気に包んだ。しかし氷の牢屋は溶けない。

「エレムを集めるには、祝福された生物が持つ、ある器官が最も手っ取り早くてね」

 パチン、と、精霊が指を鳴らすと、レオンの障壁ぎりぎりまで、牢屋の格子から、するどい氷の棘が伸びてきた。

「そんな安っぽい結晶などで、解決できる問題などではないのだよ……まさか馬鹿にしているのかね?」

 精霊はレオンの障壁に顔をめり込ませ、口から冷気を放ちながら凄んだ。顔面が激しくただれ、肉が焼け落ち、骸骨のようなものが見え始めた辺りで、はじき返されるように顔を引くと、手で拭うようにして顔面を修復した。

「私はただ、みんなが幸せで居られるといいなって」

ティアが顔をのぞかせ、言った。

「下等な生物と一緒にしないでくれたまえ。私は精霊だぞ。しかしまあ、幸せにはなるとも。ありがとう、名も知らぬ少女よ」

 予備動作なく、折から伸びる棘が成長し、障壁をたやすく貫いた。そしてその棘は、レオンとティアを無残にも串刺しにした、ように見えた。しかしレオンとティアは痛がるそぶりもなく、そこへ立っている。ふたりの姿は徐々に薄らいでゆき、やがて消えた。

「やられたか」

 精霊は檻を崩すと、力をため、大きな鎌を作り、辺りを薙ぎ払った。一面の木々が次々なぎ倒され、徐々に視界が広がってゆく。

「お前たちの足では逃げられまい!観念したまえ!」

 レオンたちは、2本ある巨木の一方の上部へ潜んでいた。木々をなぎ倒しながら、精霊がレオンたちの方向へ近づいてゆく。レオンは唾をのみ、ずっしりと重たい破術の黒鉄を握っていた。この小さな金属を投擲しぶつけられる距離まで、あと4歩、3歩、2、1……

(いまだ!)

 レオンはその細い腕で振りかぶり、正確に精霊に向けて破術の黒鉄を投げつけた。

「残、念」

 精霊は突然大鎌で地面をえぐり、土砂を掘り返した。黒鉄は、精霊が吹き飛ばした土砂に阻害され、精霊の体にぶつかることなくどこかへ埋もれた。

「君が小さなルナシア・ネーラを持っていることは気づいていたさ。これで、万策尽きたのではないかね」

 精霊は再び大鎌を振ると、レオンたちが居る巨木をなぎ倒した。レオンはティアを抱え、飛行棒につかまってゆっくりと降りてゆく。

「どうして人を狙うんだ。“魔法管”は、他の動物だって持ってるだろ」

 レオンが地面に降り立ちながら精霊に問うた。

「魔法管を知っている人間とは珍しい……将来有望な若者というやつか」
「質問に答えな」

 レオンが細い光魔法で、精霊の胸を貫いた。精霊は一瞬うろたえた後、体にできた穴をさすってふさぎながら、にっこりと微笑んでみせた。無駄だと言いたいのだ。

「……この辺りはヒトが豊富なようだからね。豊富な資源は活用しなければ」
「俺たちは食材か」
「そうだろう?私は精霊、お前たちは動物だ。君だって、魚を獲っていただろう。上位の存在は、下等な存在を消費するものさ。私は必要以上に獲るつもりはないし、不要なほど獲っていた君よりもむしろ良心的だろう」
「俺たちはそんな、下等な存在になり下がったつもりはないがな」
「下がったわけではない、初めから下等なのだ」

 レオンと精霊がにらみ合っている。

「その“魔法管”、なんで必要なんですか?」

 レオンの影からひょっこりと顔をのぞかせたティアが、質問を投げかけた。答えたのはレオンだ。

「魔法管はエレムを供給する。言動から察するに、エレム結晶を集めるよりも手っ取り早くエレムを回収できるらしい。学校ではそんな方法、聞いたことも見たこともねえがな」
「その通り」

 ティアが続ける。

「人から奪わなくたって、他に方法があるかも……だから人を襲うのはやめて、一緒に方法を探しませんか」
「君から奪えば暫くは必要ない。先ほども言った通り、必要以上に奪うつもりはない。君の魔法管は素晴らしいからね。君からもらえなければ、またすぐヒトを襲わなければなるまい」

 ティアはレオンの顔を見た。レオンは舌打ちするとティアを再び遮った。

「やらせねーよ」
「ふむ。ではまた人を襲おうか」

 意地の悪そうな顔で、精霊は言った。

「ダメです!」

 ティアがとっさに飛び出した。再びレオンが押し戻す。

「では君がくれるかね」
「それは……」
「君は他人を助けたいのか、それとも本当のところは自分が助かりたいのか」

 精霊はうれしそうだ。レオンが再び光魔法を何度か打つが、今度は遮られてしまった。

「話はここまでにしておきましょう。これ以上はお互いの時間が無駄というものだ」
「ああ、俺もそう思ってた」
「では遠慮なく」

 精霊が素早く、ティアに手を伸ばした。レオンはそれを巧みに簡易障壁ではじき返すと「逃げるぞ!」と言い、ティアの手を引いた。二人が元来た山道を走り出す。精霊はそれを立ったまましばらくぼんやりと見ていたが、クスリと笑うと、音もなく二人に迫っていった。

 レオンもただ逃げていただけではなかった。地面に大量の罠魔法を設置し、できるだけ時間を稼げるよう考慮しながら、この後の対処を検討していた。このまま走って逃げることは不可能だ。飛行棒に二人が乗ることは不可能ではないが、自分の魔力では速度が出ない。ティアの練度では、二人では飛べないだろう。迫る精霊を斃す以外に、方法はなかった。倒せるとすれば、破術の黒鉄しか、ない。

 考えているうちに、精霊は数々の罠を突破してすぐそこまで迫ってきていた。余裕綽々といった顔で笑っている。いや、狂っているのかもしれない。腕がもげても、腹が抉れても、すぐさま直して向かってくる。痛がるそぶりもない。

「限界だな、戦うぞ。離れるな」
「う、うん」

 レオンとティアは、手を握ったまま精霊に対峙した。二人はともに呪文を唱え、精霊を攻撃する。ティアの放つ攻撃を正面から受けて頭だけになっても、体を修復して向かってくる。狂っている。ティアもそう感じた。
 精霊が至近距離まで迫り、大鎌を振り下ろす。それをティアが障壁で防ぎながら、レオンが幾重にも拘束呪文や認識阻害、幻術など、搦め手で追い詰めようと試すが、ただただ大暴れする精霊には、大した効果を出せないでいた。人間何人分のエレムをため込んでいるか知らないが、出力が違いすぎる。

「限界は、あるはずなんだけどな」
「でも、私の障壁の、こっちの限界のほうが、早そう、かも……」

 ティアの強力な障壁も、限界を迎えようとしていた。レオンがティアを守るよう障壁を張ってみるが、ティアの物とは違い、すぐに破壊されてしまう。レオンは左右を確認し、近くに川があることに気が付いた。そこそこの激流。どこへ続いているかは知らないが、ここで確実に死ぬか、運命に身を任せるかと言われれば、後者が賢いだろう。

「ティア、障壁を壊して、右へ走れ。川に飛び込む」
「わかった!」

 ティアは言われた通り、障壁をあきらめて走り出した。当然精霊はそちらに向かって動き出す。しかしレオンが遮った。何重にも何重にも体を地面へ縛り付け、足止めする。 暴れる鎌も小さな硬い障壁で何とか凌いだ。横目で、ティアが一心不乱に走って行っていることを確認しながら、レオンは祈った。どうか、逃げ切ってくれ、と。
 しかし思うようにはいかなかった。ティアがレオンの不在に気づき、振り向き、立ち止まってしまった。

「レオン!」
「止まんな!行け!」

 血相を変えたレオンが、攻撃を避けることも忘れ、ティアに向かって叫ぶ。そのすきに、精霊の攻撃はレオンの背中を大きく切り付けた。叫び声をあげ、レオンが倒れる。 ティアはレオンに向かって走り出した。精霊も、レオンの拘束を逃れ、ティアに向かってゆく。ティアは攻撃するが、その甲斐なく、精霊に体を掴まれた。

 レオンはとっさに光の魔法を放った。しかし、間に合わない。ティアの体に、精霊の腕が重なってゆく。レオンの光の魔法が爆発した衝撃で精霊は弾き飛んだが、ティアの魔法管は無事ではなかった。ティアの体から、エレムの流出が始まる。

「あうっ」

 ティアが地面に倒れ、苦しみ、もがいている。精霊はこれまで以上の笑顔で棒立ちしていた。レオンは背中から血を流し、激痛にあえぎ、朦朧とする意識の中、精霊に何度も何度も光の爆発魔法を放った。 それに嬲られながらも、精霊は笑い続けた。レオンはティアに駆け寄ると、光魔法を放つことをやめ、ティアを抱きかかえた。苦悶の表情。 目視することも感じることもできないが、おそらく魔法管がおかしくなっているのだろうことは、状況から判断できた。
 レオンはティアを抱えたまま、再び攻撃を再開した。

「無駄、無駄、無駄だよ」

 ゆっくりと精霊が近づいてくる。しかしレオンは攻撃を緩めなかった。意味がないとわかっていても、攻撃をやめるわけにはいかなかった。 レオンの攻撃が、徐々に粗末なものになってゆく。精霊はより一層嬉しそうに引き笑いを始めた。

「ヒッヒッ……ヒッ……む、無駄だと……これだから人間は……ヒヒッ……ヒッ!?」

 突然、精霊の体が委縮を始めた。体の中心に向かって、精霊の体が萎んでゆく。

「ル、ルナシア、ネーラ……な、なぜ?……どこから……?」
「はは……バーカ……ただ魔法を撃ってるだけとでも……思った、かよ……」
「死ぬッ!死ぬうッ!死んじゃう!死にたくない!死にたくない!死にたく……」

 あっけなく精霊は消え、そこにはほんのかけらほどの破術の黒鉄が残された。効能を発揮するのにぎりぎりのサイズまで削り落とした、小さな破術の黒鉄。念のためにと、レオンが用意しておいたものだった。 爆発で舞い上がったそれは、レオンの思惑通り、気づかれることなく精霊に触れ、そして精霊を消滅させた。

 レオンはティアを抱きしめた。呼吸も脈も乱れている。それでも、ティアは目を開けた。レオンをまっすぐ見つめている。レオンも背中から血を流しながら、満身創痍で見つめ返した。 満点の星空。ちょうど、流星群が訪れていた。

「皆が幸せで、楽しくいられるといいなって」
「ああ」
「ごめんね」

 ティアが涙を流した。レオンはそれを拭い、ほほに触れ「いいさ」と言った。

「迷惑ばっかり、いつも、わたし」

 レオンはティアの涙をぬぐい続けた。

「レオンに迷惑ばっかりかけて、お願い聞いてもらってばっかりで、助けてもらってばっかりで」
「別に、気にしてない。お前の願いは、俺がかなえてやるよ」

 レオンの目にも涙がにじんだ。ティアの体温が少しずつ、抜けて言っているのが感じられる。

「レオンの髪、お星さまみたい。あはっ……レオンは私の願いを聞いてくれる、流れ星だね」

 それだけ言うと、ティアは気を失ってしまった。

「お前の命もお前の願いも、俺が守る」

 レオンはティアを寝かせると、やっとのことで立ち上がり、地面に複雑な魔方陣を描き出した。朦朧とする意識の中、あの日読んだ秘術を、自分なりに再解釈して、誰も知らない魔方陣を描く。 この魔方陣は、誰にも知られてはならない。誰かが知れば、確実に悪用されるだろう秘術。魔法管の秘密に迫る、禁断の魔法。レオンが長い術を唱えると、ティアとレオンが青白く光りだした。 レオンからティアへ、何かが流れてゆく。ティアの魔法管からの、エレムの体外流出が止まった。レオンの魔法管がティアに移り、その魔法管を覆うようにして暴走を防いでいた。 後は体力さえ持てば、ティアもレオンも死ぬことは無い。

(体が重い。血を流しすぎたからか、魔法が使えなくなったからか)
(誰か、誰か来てくれ。ティアも俺も、このままだと死んじまう)

 レオンはティアに重なるように倒れ込むと、気を失った。

◆◇◆

 その日、ロク先生は夜勤で校内の見回りをしていた。失踪事件があってから、誰もいない校内でも、念のため誰かが見回りをすることになっていた。 ロクは最上階に来た時、北の森で何かが光っているのを見つけた。胸騒ぎがする。飛行棒にまたがると、ロクは一目散に北の森へと飛んでいった。そして、倒れたレオンとティアを見つけたのだった。

◆◇◆

 次に目を覚ました時、レオンは教会の病棟に居た。意識を取り戻した翌朝、すぐに尋問にかけられた。どうやらティアはまだ目を覚ましていないらしい。それをいいことに、レオンはティアは被害者であると吹聴した。 ティアは操られ、自分はそれを見つけ、精霊を殺したのだ、と。大人の判断が遅いのだと憤って見せた。
 教会は動揺した。議会でもはぐれ精霊への措置はいくつか挙がっていたが、反対派は根強く、決まっていなかった。決まらない中、この少年は精霊を殺したという。 理解はできるが、許すわけにはいかなかった。数日ののち、レオンの国外追放が決定した。

 国外追放の日、ティアはまだ目覚めなかった。レオンはティアが無事に目覚めるよう祈りながら、教会の僧兵に連れられ、人だかりを歩いていた。遠くに両親が見える。見ないつもりだったが、見てしまった。 悲しそうな表情。母が何かを言っているが、聞こえない。そのまま、門をくぐった。

第5話:流れの星


 北の森を超え、岩地を超え、レオンはどこまでも歩いた。遠くに大きな山が見える。深い砂に足を取られ、レオンはその場に倒れ込んだ。水がない。アルノ先輩も、こんなふうに死んでいったのだろうか。国外追放と死刑と、何が違うというのだろう。目を閉じ、これまでのことを想う。もう、起き上がる気力は無い。
 しばらくすると、足音が聞こえてきた。徐々に音は近づいてくる。そして、自分の上方でその足音は止まった。

「すべて、先を越されてしまいましたね」

 目を開けると、ラザルが立っていた。

「お前……」
「話は聞きました。ゆくところがないのでしょう。私はエルドラ第2王子、ラザル。レオンさえよければ、私はあなたをエルドラへ招きます」

 ラザルが手を差し伸べる。レオンはその手を取った。